毒親の特徴って?大人になっても苦しめる、毒親の呪い
・高齢出産 ・里帰りなし ・両親からのヘルプなし(産んだ孫に一切興味なし) ・育児に慣れない中での、アメリカへの引っ越し ・産後、職場復帰をスタート |
仕事の関係でアメリカに住み、夫と二人体制で育児をしています。
保育園やベビーシッターなど、お金を出して利用できるサービスを駆使する日々。
周りの友人は両親に恵まれている人が多く、手助けしてもらっているケースが大半。
いつもいいな、と感じています。
慣れない環境での育児と仕事復帰。
思った以上の心身の疲労に、限界を感じることもしばしば…
疲労が限界を迎えると、不思議なことに今まで両親から受けた行為の数々を思い出すようになってしまいました。
・やり場のない怒りで、どうしようもなく心が乱れる… ・苦しくて夜も眠れない… ・悔しさや恥ずかしさが込み上げてくる… ・自然と涙が出てくる… |
なんとかして、負の感情から逃れられないものか。
発散する方法を見つけ出すために、心理学の本を読みまくりました。
その数、50冊以上。
今でも、読み続けています。
すると、だんだん分かってきたことがあります。
それは、自分の両親が毒親なのかもしれないということです。
私は、子供を産む前に出産することへの葛藤がありました。
★産むことへの葛藤の記事はこちら
★里帰りなし、不安いっぱいの子育てについての記事はこちら
上記の葛藤に目処をつけ、幸運にも出産することができ一人の子の親になりました。
かつて私が苦しんだように、自分の子供に同じ苦しみを与えてはいけません。
家族の負の連鎖を起こさないために。
今回は、自戒の念を込めて自分のための記録にしています。
実体験をもとに毒親の特徴について書き出しました。
同時に、完全な解決方法は模索中ですが解消法などを記載します。
特徴1:「子供は親の所有物」と堂々という両親
両親は、外では良識的に振る舞います。
ただし、彼らにとって得になる人に対してのみです。
全く事情を知らない人は、いつも笑顔で朗らか(に見える)な両親を理想的な両親だと思う人もいるかもしれません。
しかし、私の知り合いやお世話になった方々に対しての扱いはひどいもの。
茶化したり、挨拶をしなかったり、後で悪口を言ったり…
物心つく時から、父親に「親が主役。子供は親の所有物。どう扱ってもいいんだ」と言われてきました。
言っている父親の隣には、うんうんと頷く母親。
私に対しての両親の行動は、ずっとこの考えに基づいています。
具体的には、以下のような行動です。
プライバシーがない
・自室のドアは、どんな時も必ず全開放 ・お風呂に入っていても、平気で戸を開ける ・子供のものは親のもの。郵便物や日記などは勝手に開封、内容を両親で共有。 ・(独立し家を出るまで)休日のスケジュールを知りたがる →「誰と、どこで、何をするか」の報告 |
実家にいた時は、プライバシーがありませんでした。
自立して家を出るまで、自室のドアは全開放。
もちろん、着替えの時もです。
ドアを閉めても、すぐにノックなくドアを開けてきます。
いつでもどこでも、監視されている家の中。
常に、緊張状態です。
子供のものは親のもの。
郵便物や日記なども、勝手に開封し読まれます。
一例ですが、小学校の時に交換日記が流行っており友達とやりとりをしていました。
ある日帰ってくると、引き出しにしまっていた日記帳が机の上に。
母に確認すると「読んだわよ」とからかわれ、内容を父に報告されました。
それだけでは終わらず、授業参観で日記の内容を交換している相手の母親に話し出す始末。
後日和解しましたが、交換相手との仲も気まずくなってしまいました。
こういった、プライバシーのなさに始めは無自覚でしたが、徐々に息苦しく感じていたのだと思います。
中学生ぐらいから、夏休みなどの長期の休みは幼なじみの家に2~3週間泊まりに行くようになりました。
高校生になると、軽い反抗期に。
プライバシーのなさを嫌だと感じるようになり、お風呂に入るときは竹刀でつっかえ棒をして外から開けられないようにしていました。
自室のドアはスライド式ではないので、つっかえ棒は出来ず諦めました。
大学生になり、「誰と、どこで、何をするのか」を伝えるのが苦痛に。
毎回、必ず報告義務が課されるのでうんざりしていました。
大学の学費は、出してもらっていません。
当時は、「両親は私のことが心配なんだ。有難いと思わなければいけないんだ」と思うようにしていました。
しかし今思うと、
・単に自分の所有物が、どこで何をするのか興味があり聞きたかっただけなのでは? |
と、思わざるを得ません。
家事を強要
・具合がどんなに悪くても、毎日洗い物とお風呂掃除や洗濯物は厳守させる |
中学生になってから独立するまで、家にいるときは必ず家事をしていました。
母親は料理をすることは好きですが、家事が大嫌い。
特に、洗い物。
自分が食事をしたかどうかに関係なく、私が毎日洗い物をしていました。
もちろん、調理中に使用したフライパンや鍋、調理器具まで。
食器洗浄機があるのに、何故か手洗いを強要。
毎回、ものすごい量の洗い物や風呂掃除、洗濯物をしていました。
具合が悪くても、例外なし。
38度の熱が出ようが、関係ありません。
母いわく「結婚をしたら、どんなに辛くても家事をしなければならない。その練習だ」とのこと。
当時は、反論するのも辛い状況で朦朧としながらやっていました。
しかし今思うと、
・そこまで辛い思いをしてやる意味があったのか? ・子供が熱を出してしんどそうにしているのに、心配ではなかったのか? |
疑問が残ります。
やはり「子供は親の所有物だ」との考えから、家事を無理やりさせていたようにしか思えません。
特徴2:羞恥心を煽る行動
・運動会や授業参観、学芸会、卒業式、結婚式などのイベントごとでの過剰な親アピール ・第二次性徴期の性について、からかう行為 |
運動会、授業参観、学芸会、卒業式、結婚式…
イベントごとに、両親は主役になりたがりました。
運動会や授業参観などでは、両親は「ママとパパはここにいるわよ~!」と絶叫。
叫び過ぎて、母親は卒倒。救急車で運ばれそうになったことも…
毎回、周囲の嫌な注目を浴び冷や汗をかきました。
当の本人たちは、周囲に我が子を愛する親だとアピールしたい様子。
両親をママやパパと呼んだことはありませんし、甘える方ではありません。
小学校では、男子にからかわる羽目に。
周りへの火消しに回る、私。ホトホト、疲れる…
「恥ずかしいし、周りにからかわれるので目立つことは辞めてほしい」と何度もお願いしました。
しかし、「折角、応援してやったのに。親に対して感謝の気持ちが足りない。からかわれるのは、お前の日頃の行いが悪いんだ。改めろ」と逆に叱られました。
救急車で運ばれそうになった事件については、両親は笑い話にしています。
このようなハプニングが一度や二度ではありません。
おそらく8回以上…
いつしか学校行事などイベントごとには両親を呼びたくない、と思うようになりました。
授業参観などで控えめに微笑みを交わす友達のご両親を見て、どんなに羨ましく思ったことか。
また結婚式では、母親が「私も純白のドレスを着たい!」と泣き出し、ウエディングプランナーさんが困り果てる事態に。
結婚式当日。母は純白のドレスを着ることが出来なかったので、ずっと真顔で怒っていました。
母の笑顔の写真は、一枚もありません。
ブスッとして横柄な両親の態度は、側から見て一目瞭然。
友達を始め、夫の親や仕事の上司や同期、お世話になった方々が出席している結婚式。
自ら挨拶に行かず席に居座り、笑顔を見せない両親を恥ずかしく思いました。
今でも振り返ってみて、顔から火が吹く思い出です。
また第二次性徴期などの、体の変化についてもからかわれました。
父からは、「色気づいてきたな」
母からは、「子供を作れる時期になってきたのね。沢山の男性と付き合いなさい」
その言葉に、嫌悪感。
生理に初めてなった時には、いけないことのような気がし恥ずかしい思いをしました。
丁度保健体育の授業で生理を知っていたので、自分でドラッグストアに行き処置をしました。
部屋に置いてある生理用品をみて、母は大騒ぎ。
大声で「生理になった!」と言い、私の目の前でからかいながら父に報告。
ゾッとした記憶があります。
母から成長期の微妙な心の変化や体のケアに対して、気遣いを受けたことはありません。
ブラやショーツなどの体を守る下着の存在も、何人かの友達のご両親に教えてもらいました。
親同士の付き合いは全くありませんが、子供同士は小さい頃からの付き合い。
友達とお揃いでという名目で、そのご両親がプレゼントしてくれた可愛らしい下着。
私の両親が変だということに、気がついていたと思います。
事あるごとに、私の負担にならないように「何か困ったことがあったら、いつでも相談してね。部屋は沢山あるので、いつでも泊まりにきてね」と言ってくれました。
見返りを求められたことは、ありません。
・困っていることについて ・将来の進路について |
人生の分岐点で、相談に乗ってもらうことがありました。
幸運にも私が真っ当に成長できたのは、こういった友人達の助けがあったことに間違いありません。
両親の一貫した考えは、
・自分達に得のない人間に対しては、子供がどう思われようと、自分達の好きなように振る舞っていい →子供の知り合いは、自分達より立場が下であるという考え ・子供の成長に起因する心と体の変化については、面白いのでからかっても良い →子供が体の変化に嫌悪感を抱くようになる可能性には、無関心 |
恥ずかしい出来事は、書ききれないほど沢山あります。
文字に出すのもおぞましいほど、まだ消化できていない思い出も。
いずれも「子供は親の所有物。どう扱ってもいいんだ」という考えが根底にないとできない行動だと考えます。
特徴3:恐怖心や見返りを求める行為
・女に教育は必要ない、大学の学費を出さない。 ・就職後も、今まで私に掛かった養育費提示され返金を請求される。 |
両親はずっと、「女に教育は必要ない。世間体もあるから高校までは学費を出すが、大学には行かなくていい。」と言っていました。
そして当時流行っていたドラマ松本清張の「黒革の手帳」を何度も見せ、「お前もこうなれ!なれる!」
冗談でしょ?とお思いになるかもしれませんが、大真面目です。
職業の選択をさせる余地などなく、子供の将来を決め打ちする両親。
決して、職業差別をするつもりはありません。
しかし、将来を勝手に決められることへの恐怖を感じました。
私の周りの友人は、大学に行くのは当たり前。
当然、私も行くつもりでした。
大学の費用は出さないと言われていたので、奨学金とアルバイトで自分で学費が出せる大学を選択。
家では勉強できないので学校の図書室や友人の家などで、高校一年生から必死で勉強しました。
大学時代はおしゃれをする金銭的な余裕はなく、バイトと奨学金の基準を満たすための勉強に明け暮れる日々。
あまりに身なりに構わなかったので、不憫に思った恋人や友人が服やメイク道具をくれる始末でした笑。
就職後は、今まで私自身に掛けた全ての養育費を請求されました。
私は早く独立するために、在学中に一人で生きていけるための資格を取得し就職しました。
給料の3分の2は、返済に充てる日々。
7年間で完済しました。
両親は、金銭的な意味で困窮しているわけではありません。
毎月の返済は、両親のゴルフ代や旅行、外食などに消えていきました。
心を穏やかに保つために。どうしたらいい?
・嫌だった思い出を書き出してみる ーいつ? ーどこで? ー何が起きたのか? ーどの時、どう思ったのか? ーどうして欲しかったのか? |
受けた行為や言葉。
話を盛っているでしょ?と思う方もいるかもしれませんが、控えめに書いたつもりです。
両親に対しての怒りや悔しさは、結婚した後から自覚しました。
それまでは、産んでくれたことに対して感謝しなければいけないのだと思っていたからです。
恥ずかしい。
恐ろしい。
嫌だ。
と思うことはあっても、「育ててくれた恩があるから、憎んではダメだ」とセーブしていたのだと思います。
しかし、どうしようもなく沸き立つ嫌悪感。
ついには、「両親に対して、こんな感情を持つなんて何てダメな子供だろう」と自分に対してもドロドロと汚らしい感情を抱くようになりました。
解決方法を見出すために、心理学の本を手当たり次第読むようになりました。
医療機関のカウンセリングを受けましたが、一時的にスッキリするものの根本的な解決にはなりませんでした。
また自身の性格上、身に起こった出来事を他の人に話を聞いてもらうことは好みませんでした。
実体験しなければ、共感しにくいと思ったからです。
試した解決法の中で一番効果があったのは、書き出すという方法。
自分で整理して、文字に起こします。
すると、いつの間にかスッキリする気がします。
終わりに
出産し育児をし、働いて…
子供に対して、日々愛情が増しています。
反面、思った以上に心も身体も疲労します。
すると両親から受けた行為を思い出し、心を平穏に保つことが難しくなります。
家族の負は連鎖する…など一般的に言われます。
しかし実際に子供を産んでみて、とてもじゃなけれど両親が私にした行為を自身の子供に出来ません。
酷すぎる、子供がひどく傷つく、と考えるからです。
心身を穏やかに保つために。自分に合った対処法を模索し続けようと思います。